ゆっかーが聞く!馬術オリンピアンが語るオリンピック。林忠義選手
ゆっかーが聞く!馬術オリンピアンが語るオリンピック。林忠義選手

いよいよ大会本番が近づいてきた東京オリンピック。
日本の馬術界からも過去に数多くのオリンピアンが誕生しています。
そこで、そんなオリンピアンの方々に、私、菅井友香が、出場されたときの気持ちやオリンピック本番の雰囲気など、
たっぷりとお話をお聞きしました。

今回は林忠義選手です。林選手は2000年シドニー、2004年のアテネと、オリンピックに2大会連続で出場されました。
北総乗馬クラブの代表をつとめる林選手は馬術だけではなく、競走馬のトレーニングにも携わっています。
また、コーチとしても手腕を発揮し、全日本チャンピオンも輩出。
さらに、息子の忠寛選手や甥の齋藤功貴選手はヨーロッパで活動しています。

菅井 友香

では林忠義選手にお話をうかがいます。といいますか、以前、障害馬術にチャレンジした時に指導していただいたので、私にとっては“林先生”です。今日はこういう形でのインタビューということで、何か不思議な感じなのですが、どうかよろしくお願いします。

林 忠義

こちらこそ。よろしくお願いします。

菅井 友香

さっそくですが、まずはオリンピアンとなった瞬間についておうかがいします。
オリンピックの舞台に出られることが決まった時の気持ちを教えてください。

林 忠義

2000年シドニーオリンピックのときは、大会の1年前に選考会が行われたのですが、それに出るためにもたくさんの方の協力がありました。
馬術競技というのは、馬がいないと競技ができません。まず、馬を買ってくれる馬主さんがいて、馬をケアしてくれるグルームさん、獣医さん、装蹄師さんなど色々な人の協力がないと成り立ちません。そういった方々や、応援してくれている家族のためにも「絶対にオリンピックに出場しなければならない」という思いがあったので、選考会で1位になったときはやはり嬉しかったですね。他の競技で勝った時と同じで、チャンピオンになったような気持ちでしたし、「よし、ここからだ」と奮い立ちました。

菅井 友香

初めて出場されたシドニーで、オリンピックのアリーナに入場した瞬間のお気持ちは覚えていらっしゃいますか?

林 忠義

もちろん覚えています。
自分の場合は緊張するというよりもモチベーションを高めて試合に向かっていくタイプなんです。シドニーのときは、日本からの応援団がいてくれて「忠義頑張れ!」という声も聞こえてきて、本当に励みになりました。

菅井 友香

応援の声は本当に嬉しいですよね。

林 忠義

「よし、やるぞ! 頑張るぞ」という気持ちになって、より一層燃えてきましたね。走行では1つだけバーを落としてしまったのですが、スピードもまあまあ速くて、自分なりに良い走行ができたと思っています。

菅井 友香

自分の中でベストを尽くせるようにメンタルをコントロールして臨まれていたんですね。すごいです。
ここ一番で力を出し切れるコツというか方法などがありましたらぜひ教えてください。

林 忠義

一番大事なのはメンタルですからね。馬術競技は、自分だけが気分を高めても仕方がない部分があって、馬も一緒に、人馬ともにモチベーションを上げて、お互いが「やるぞ!」という気持ちがみなぎる状態にしていかなければいけない。
そのコントロールがポイントなんです。やっぱり、乗る側の人間がそういう気持ちになっていないと、馬もついてきてくれないから、まずは自分がそういう気持ちになって臨むことが重要です。

菅井 友香

馬と気持ちを一つにするということですね。

林 忠義

でも競技の時は、自分が馬を引っ張っていくのではなく、自分より前に馬がいてくれるというような乗り方をしていくんですよ。それが大事ですね。だから馬をやる気にして、競技では馬が自分を連れていってくれる形にする。馬をその気にさせる。そんな状態を作るためにも自分の場合はお互いに気持ちを高めて、気分が乗ったところからスタートするようにしています。
馬も生きていますからね、メンタルがとても大事です。

菅井 友香

選手と馬が一緒に前向きに競技に臨めたら、きっと力を発揮できますね。
林選手はシドニー、アテネと2大会連続で出場されましたが、それぞれどんな大会でしたか?

林 忠義

初めて出場したシドニーでは、スワンキーとともに戦って、さっきお話ししたように予選はまあまあ良かったのですが、決勝ではダメだったんです。
馬場が硬かったこともあって馬にかなり負担がかかっていたようで、肢を痛めてしまって残念な結果でした。後で検査をしたら馬が剥離骨折をしていたことが分かりました。
アテネもスワンキーとのコンビで代表になりました。もちろんシドニー以上の成績を出したいと思っていました。この時は、第1走行は昼間だったのですが、第2走行が夜間だったんです。第2走行は慣れないナイターで馬が競技に集中しなくて、最終的にはリタイアしました。

菅井 友香

いつもと違う環境で競技をするのは大変なんですね。

林 忠義

本当に難しいですね。でも、競技環境はみんな同じですから、それをクリアするためにどうすればいいいのか、ということです。

菅井 友香

オリンピックでは、やはり特別な緊張があるものなんですか?

林 忠義

よくそう言われますが、私自身は「オリンピックだから」という風には考えないようにして臨んでいました。それまでにも日本代表としてインターナショナルの大会に出場していたので、できるだけそれと同じモチベーションでいこう、と。オリンピックだからと特別な意識で臨むのはメンタル的にも良くない。平常心で競技に臨むのが一番なので。ルーティーンといいますか、とにかく日頃やっていることと同じように、ということをいつも心がけていました。

菅井 友香

オリンピックで忘れられないエピソードなどがあったら教えてください。

林 忠義

そうですね……。色々ありましたね。シドニー大会では、第1走行と第2走行間の休憩時間がけっこう長かったんです。そうしたら、現地のグルームが昼寝をしちゃって予定の時間になっても姿が見えない。
もう間に合わない、と思って自分で一生懸命準備しましたよ(笑)。
僕の出場順が日本チームの中でも1番手だったんです。
あれは焦りました。

菅井 友香

えーっ、そんなことが!

林 忠義

他の選手のグルームも手伝ってくれて、みんなで大慌てで馬装をしてね。
そんなハプニングがありました。

菅井 友香

何が起こるか分からないですね。すごいお話を聞いてしまいました……。
最後になりますが、この夏のオリンピックの日本代表を目指している選手の皆さんに向けて、林先生からのメッセージをお願いします。

林 忠義

代表が決まるのは6月ですが、どの選手もみんなオリンピックに出るために日々努力していますから、それが良い結果につながってほしいと思います。東京で、日本でオリンピックをやるわけですから、応援団もいっぱいいるから、代表に選ばれた選手には、思いっきりエンジョイして、できるだけのことをやっちゃってもらいたいですね。バックアップしてくれる人、応援してくれる人がたくさんいるんだからという気持ちで、のびのび思いっきり騎乗して欲しいと思います。強気でね。
僕も、新しい馬事公苑で競技をさせてもらいましたが、本当に素晴らしい施設です。あの場所に立ったら、最高にやる気がみなぎるんじゃないかと思います。

菅井 友香

私も、日本代表のみなさんが、最高のパフォーマンスをする姿を、ここ東京で見たいです。
今日はどうもありがとうございました。

ゆっかーが聞く!馬術オリンピアンが語るオリンピック。林忠義選手

Profile

林 忠義(はやし ただよし)

1968年3月1日生まれ、千葉県出身。多古高卒。
2000年のシドニー、2004年のアテネと2回のオリンピックに出場。ほかにも1994年と1999年にはワールドカップファイナル、1994年と2002年には世界馬術選手権大会に出場するなど、国際経験豊富。国内では1996年に全日本障害馬術選手権優勝。
現在は北総乗馬クラブの代表を務めており、コーチとしても手腕を発揮、数多くの選手を育てあげている。長男の忠寛選手、甥の齋藤功貴選手はそれぞれドイツを拠点に活動しており、世界選手権に日本代表として出場経験がある。また次男の義昌選手も障害馬術選手として活躍している。